令和2年4月現在、51歳の双子パパです。
会社員から世界一周、帰国後は移住計画そして不妊治療・・・・。
自分でもなかなか面白い経歴だと思いますので、プロフィールだけでも見ていってくださいネ!
双子娘誕生までの軌跡
高校卒業後、勉強をしたくないこともありすぐに仕事に就く。
4年半ほど働き、ワンランク上の会社から誘われ転職。
転職後楽しい日々だったが、事業規模縮小にて通勤先が遠くなり4年半で退社。
その後路頭に迷う日々。
路頭に迷った結果、高校卒業後勤めた会社の窓をたたき出戻り成功。
入社後何年かしてママと出会う。
その何年か後にママと結婚。
10数年は真面目に働いていたが、何だか訳のわからないうちに世界一周に行く話になる。
何だか知らないうちに世界一周するために、出戻った会社を辞めることのになる。 ↑ひどい
「ママの影響力はスゴイ!」
こうしてバックパッカー世界一周の旅に出る。←時間を見つけてブログで紹介していこうと思います。
1年半ほどで大体計画していた大陸、国をまわり、お金も底をついたので帰国。
帰国後、すぐには故郷に帰らず九州に上陸し、ウーフという制度を利用して農業体験の旅を開始(夫婦で約2週間おきに日本列島を北上して色々な農業経験をする)
東京まで来たとき、南国の雰囲気を味わいたいと、千葉の房総半島を車で回る。
パパ・ママは北海道出身なので、とにかく南国に憧れ移住したいと常日頃思っていた。
その時、移住促進を積極的に行っている「館山市」に出会う。
房総半島に住みたいという気持ちが強くなり、ママを一度故郷に返し、パパのみボラバイトをしながら房総半島エリアの情報収集及び人脈作りを開始(2か月位)。
そろそろ子供が欲しいと思いつつも未来が不透明なため、いまだ迷走中の夫婦。
房総半島エリアでの情報収集及び人脈作りも大体できたのでパパも故郷に戻る。
ここであの大事件がおきる。
いろいろと移住の段取りをしていたところ、
悪魔の揺れが・・・。そう、「3.11」東日本大震災。
当然、千葉県エリアも大変な状況。
移住計画も白紙になる。
移住の夢が捨てきれずも、ここに留まることも考えたうえで、房総半島のハローワークでの求人募集状況から介護のスキルはあったほうが良いと考え、夫婦そろって介護の資格を取る。
その後、パパ、介護の仕事に就く。ママも介護の仕事に就く。
だけど、ママは途中で嫌になり半年で辞める。
このころ、ママの年齢も考えて子作りを行うも何年たっても子供が出来ない。
不妊治療開始
しかし、それでも中々子供は出来ない。
2~3年頑張るも効果が出ないため最後の大博打を行う。
~大博打内容~
①ワンランク上の高額な不妊治療開始。
②介護の仕事を辞めてパパのストレスを減らす。(5年間勤めてそこそこのポストまでいったんだけど)
③今より広い間取りのアパートへ引っ越し(部屋が狭いと子供が来づらい?)
④ママととにかく散歩。街を食べ歩いたり、きれいな景色(自然豊かな場所)を見ながら歩いたり・・・。
高額な不妊治療、会社を辞めたため収入ストップなどある程度の想定はしていたものの当然貯金は減り、みるみるうちに追い込まれ大ピンチになるもまだ子供は出来ず。
とうとう、セーフテーラインぎりぎり、生活保護突入かー。でも、自分は間違っていない。昔の大変な出来事の数々を思い出せばたいしたことではない。そう自分に言い聞かせ不安な気持ちと戦っていたある日、
ママから1本の電話が・・・
「妊娠したみたい。」
「えっ!え・え・えーっ!」
「そ・そんなミラクルがあるの~~!こんな時に」
と興奮していると・・・・
「しかも、双子ちゃんみたい。」
「・・・・・・・・・」
「は・・・?」
大パニックである。
そんな感じで、我が家の双子ちゃん達は無事に、パパが49歳、ママが37歳の時に誕生しました。
当然、家族4人を養わなければならないので、就職活動を行い運よく、世界一周に出る前によくしてくれていた会社に御縁があり49歳にして無事再就職することができました。
感謝、感謝の毎日です。
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